Dtto交流会に行ってみたら、背中を押してもらえた話。

なんだかモヤモヤすると投稿し、 ひたすら料理に没頭して、 寝られるだけ寝たら本を読んで、 たまたま見つけた良さげな漫画に読み耽り。 やることはたくさんあるので、 タイミングの悪い休憩とは分かりながらも 存分に休んで。 「「意味もないこと」をすること」が目的。 「「無駄なこと」をすること」が目的。 そんな時間を過ごしてた1月でした。 そんな1月の最終日、今日。 バイト先の店長にたまたま 「1月の思い出はある?」 と聞かれ、 咄嗟に三ヶ日を答えたのですが、終業後、 「いや、もっと重要なやつがあったよな。」 と思い立ちました。 それが今月、私がずっっっっっっと 考えてたことにアクセントを加えてくれたなと感じているので… 今日の投稿、めちゃくちゃ長いです。 あと、少し専門的な話も。 噛み砕くつもりですが、覚悟してくださいね。 年明けからずっと、 私の頭の中にはあるキーワードが漂っていました。 何をする時も。 ご飯食べててもお風呂入ってても ヨガしててもテスト勉強してても バイトしてても友だちと話ししてても。 こんだけ考えてたら必要以上に疲れるわけです。おかげで今月、痩せました。 そのキーワードは、 「対人の暴力性」。 コロナ禍のニューノーマルにもすっかりなれた私たちは、「オンデマンド」や「リモート」のありがたさを知ったと思います。 「人と会うこと」には、 少なからずそれなりのエネルギーを "どんな人も"要するのです。 外向・内向の程度の違いはあれど、社会的動物だとはいえど、 必ず、消耗します。 しかし、私たちの生活から人と会うことを無くすと、無機質なものになりませんでしたか? 単調で、退屈で、漠然と不安で。 「コロナうつ」も囁かれましたが、覚えてますでしょうか。 この無機質さの背後には、人と対することの「暴力性」の喪失があります。 「背中を押された」「勇気づけられた」と言った表現。あれは、他者なしには成り立たない表現でしょう。このアイデアはある有名な医師によるもので、「暴力性」と称しますが、必ずしも有毒なものではありません。 一方で、「人」そのものは「ブラックボックス」でもあります。 過ごしてきた時間、環境、人間関係が自分とは全く違う、 一つの「歴史」「思想」の集合体で、 そんな「人」と私たちは日々対峙するわけです。 共通項が重なるところもありますが、 総じてみると全く自分とは異なる存在なのです。「他者」である。 共有することができるのは、 いま目の前にある「その瞬間」だけなのですよね。 そんなブラックボックスからは、何が繰り出されるかわからない。人と対することが当たり前だった頃の私たちは、日々この「暴力性」の中に晒されていました。 今では、対面授業がだるくて仕方ないという人も多いと思います。遅刻しないこと、教授を怒らせないこと、友だちと話すことも、ある種「暴力性」があると言えるのです。 しかし、この「暴力性」があってこそ、人は何かを生み出せると言われています。 外から力が加わって初めて、 0が1になることがある。 完全に排除することはできないのはこのためです。 このような両側面を持ち、「人と会うことにおいて、何かを消耗するのは当たり前なのである」ということを、「対人暴力性」という言葉で知りました。 「じゃあこの暴力性と、私はどうやって付き合っていこう?」 「私は1人の時間も大切にしたいタイプだから、暴力性なんてできるなら避けたいかも…」 「でもなしにはできないなら、いっそ武器にしたいよなあ…」 そんな「対人の暴力性」をテーマに悶々と考えてたとき、 Dttoさんが開催してくださった交流会にお声かけいただきました。
megapx
「クリエイター」として声をかけて頂けたのが、なんだかいい響きでたまらず、 出向いてみたのですが、 想像以上に面白い、刺激的な、楽しい時間でした。 会ったことない人たちとの間に、意外な共通点を見出す。 予想外のゲストが登場する。 普段話を聞けない人たちの話を聞く。 運営チームの方一人ひとりのお話も聞くことができ。 「個が調和することの心地よさ」を、久しぶりに実感しました。 変化球の連続で、繰り出す球をもっと見たくなる気持ち。 「ああ、そうだ。 私、こーゆー瞬間、大好きなんだよな。」と。 ワクワクしたし、その日限りなのが惜しくなるような、とても心地よい空間でした。 対することの暴力性、強制力が、 「痛み」をポンと押して「希望」に変える。 「過去」をポンと押して「可能性」に変える。 「後悔」をポンと押して「力」に変える。 これらはあくまで個人的な解釈なのですが、 あの時間はそれを目の当たりにしたと感じています。 また、今回の交流会では、Dttoの創始者の方とお話しする機会があったんです。 「Dttoの"D"は、Destiny(運命)の"D"である。」 彼は「運命」という概念に大いに関心をもち、運命を創出する場面に携わりたいと、台湾にてDcard(Dttoの台湾版)を手がけたそうです。 運命もまさに「暴力性」です。 思い切りぶん殴られて ハッとさせられるような、 そんな力を持っている。 悶々と思考する頭にビビッと電気が走るような、刺激的なお話でした。 ちゃっかりお写真も撮っていただきました。
megapx
この交流会に出たおかげで実は、 この春休み、一歩踏み出す勇気を持つことができました。 夢への、将来への一歩です。 つまり私も、「対することの暴力性」に背中を押してもらえたわけです。 こんなふうにDttoに投稿するくらいですから、私もやはり何かを「創造」したいタチでして…。 一歩踏み出したばかりで 方向はまだ定まってませんが、 私は密かに、この春を 実りある春にしようと企んでいます。 踏み出した今、改めて振り返ることとなりました。 交流会を開催してくださったDtto運営チームの方々。 交流会に足を運んでくださったユーザーの方々。 素敵な時間をありがとうございました。💐 見ての通りとっても、有意義な時間でした。
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