「でいいよ」
お茶の水女子大学
「でいいよ」ってよく使われる言葉だけど、これを言われたときに違和感を感じるのは私だけなのだろうか。
なぜあなたに許可されなければいけないの?
なぜあなたは許可をする側で私はされる側?
頼んでないのにあなたが勝手にやったことを「〜でいいよ」って恩着せがましく言ってくるのはなぜ?
加えて、この言葉に「ありがとう」と笑顔で返す自分にもとてつもない違和感と一種の屈辱感のようなものを抱く。
もちろんこれが少し変で神経質になりすぎていることは理解しているし、未熟な自分の言葉遣いで人を傷つけてしまうことがあることも理解している。
私は寝る前に1日を振り返り、会話の中で違和感を感じる可能性があると感じた言い回しは次から避けることを意識している。これが小さいときからの習慣で、転校生の私が仲間に入れてもらえるよう生きていく術だった。だが高校生になってそれをしてきたことによって言葉の選び方にどんどん敏感になり、他人の言葉を全てジャッジし、自分の器がどんどん小さくなっていっていることに気づく。けど昔に自分が散々言葉で傷つけられたからこそ、人を言葉で傷つけることは絶対にしたくない。しかし今のままでは他人の言葉にもしょっちゅうマイナスな気持ちを抱いてしまうし、そんな自分にも嫌気がさす。今の状態からすぐにでも抜け出したいというのが本音だが、すぐに抜け出せるものではないだろう。長年の悩み、ここにきて結構しんどい。このジレンマ、どうすれば良いのだろうか。