「愛」ってなんだろうって考えたことありませんか?
漠然とわかる人もいれば、愛なんて重いと考える人もいると思います。
話は変わります。
大学生って不思議な年齢層です。
自分は20歳になりましたが、同い年で毎晩のようにクラブや飲み会で遊ぶ方、社会に出て仕事をしてる方、結婚をしてる方、中にはお子さんがいる方もいることでしょう。(海外・アメリカだと多いですよね)考えてみてください、自分の同い年の友達か知り合いがもうすでに赤ちゃんを授かっているのかもしれない、それが大学生の年齢層なのです。
だからこそ、「愛」についてより一度考えた方がいいと思いました。
自分はキリスト教学校に小中高一貫校通っていました。(以下話す例は宗教的なバイアスはかかってないかと)
僕のキリスト教学校では、他高校での道徳教育が「聖書」と言う授業にまとめられています。
高校3年生になった時、聖書の授業をなんと校長先生自ら教壇に立って教えていただきました。
その校長先生が聖書の授業で「愛」と言うものを教えてくれました。(この授業のノート今でもとってあります)
バリバリ思春期で彼女のこと大好きだった僕を例に質問をしてきました。
校長先生「Noahくん。君は何が嫌い?」
トマトが嫌いでした。
校長先生「じゃあ、君の大好きな彼女が、もうそれこそ自分の部屋にトマトのぬいぐるみ、トマト柄の壁紙にするぐらいトマトをこよなく愛してる、としよう。だけど、もし突然彼女が交通事故で亡くなったとしたら。(ちゃんと優しく、僕にごめんねと言いつつ)君はとても悲しい気持ちになるだろう。では、君はそのときトマトを見たら何を思う?」
僕はトマト嫌いだけど、彼女のことを思い出してトマトに対して変ななんとも言えない哀愁のような感情を抱く、と答えました。
校長先生「そう。愛とはそう言うものなんだ。嫌いだけど、愛はそこにあるもの。「恋」の感情は大好き、大嫌いと思いの丈を測れるし、相手の行動などで変わってしまうことがある。「愛」は大愛とは言わないし、とても愛してるとも言わない。そして、たとえ相手を嫌いと感じていても愛することは変わらないんだ。」
これは僕がトマトを愛してる、彼女が死んでトマトにそれを被せている、ということを言いたいのではなくて「愛」と言う感情をうまく説明してくれたと思います。
もう少し身近に感じれる例だとしたら、
「喧嘩するほど仲が良い」というのは、喧嘩をたくさんしてるから仲が良いのではなく、たくさん喧嘩をしても仲直りできるからだと思います。そして変わることのない「愛」がなければそもそもお互い仲直りしようとも思わないでしょう。喧嘩をたくさんしても「カップル」や「夫婦」でいれるのはそういうことでもあると思います。
僕は高校の時からバスケ部で仲良くなった友達は兄弟のように感じています。血、汗、涙を分かち合った仲間で、喧嘩はもちろん何度もしました。
気恥ずかしいから普段は言わないですが、みんなで宅飲みしてたまにして酔った時は” I love you bro” 「愛してるぜ兄弟」みたいな感じで言ってしまいます。
家族とは思春期のころよくぶつかってばかりで、今では申し訳ないです。。だから、今はできるだけ家族に ”I love you” って伝えるようにしてます。
さっきから家族とか友達とか、恋愛じゃないじゃんって思うかもしれないです。
愛というのはそもそも誰に対しても感じれます。自分のペット、お世話になった先生、先輩。口に出さずとも思うところはあるやもしれません。
「恋愛」という言葉は恋を先にして、そのうち愛するから恋愛になったのかもしれないですね笑
大学の恋愛で愛すことができる彼女•彼氏それか友達でも見つけられたら幸せ者です:)
今の年齢もあるし、「愛」のテーマってなんだか気恥ずかしい気がしますよね。今書いてる自分もむずかゆいです笑
これから僕らは大人の仲間入りをする中で「愛」というテーマには必ず直面すると思います。それについてわからないまま直面するよりかは、少しでも考える機会があればと思い共有しました。語ってみたかったのもあります笑
もちろんこれが答えではありませんし、一つの意見です。
最後まで読んでいただきありがとうございます!