"年寄り的な恋愛観″とかいう幼稚さについて
早稲田大学
こればっかりは本当に人間のフシギだなーといった感じで今年も例外なくこの季節になると途端に他所様の"付き合ってる人がいる″という状態をむずむずと羨ましく感じ出すわけなのですが、やっぱり"肌寒くなってきたから″とかいうワケ分からん理由でこれを説明するのだとしたら、それはきっと"春の初めは元気な黄色い帽子を見たい"だとか"夏が来るのなら蝉の声がちょいと聴こえたい″だとか"秋の記しにと騒がしい渋谷の中継を眺めたい″だとか"冬の湯船には柚子を浮かべたい″だとかそういった類いの願望に分類されるのかしらんと思いまして、そう考えると(ここからは個人的な性格のせいもありましょうが)どうやら自分は今年もこの時期に限ってこの感情を"はい抱きました″というだけで既にその目的の殆どは完遂されているのでありまして、あとはただこの肌寒さが本格的な寒さにと変わってしまうまでの間ゆったりとその心持ちを眺めているだけでも十分に満足なのだという風に感じられてきた次第なのであります。
え、結局なにが言いたいのかって?相手がいたらそりゃラッキーだけど、相手をつくる努力をするほどもう心は若くないぜってこと。と、自分に言い聞かせて今年もまた何もしない理由をつくってるってことです。