能登半島地震のとき現地に滞在していました…
1/1 16:06
久々に揺れた。震度4だった。みんな大したことないけど久しぶりにきたねって笑ってた。そのままテレビを見ながらおせちを食べ続けた
1/1 16:10
また揺れた。最初はちょっと強いかなくらいだったけど、気付けばどんどん大きくなってきてもはや机の下に隠れる意味がないくらい揺れ出した。
俺は犬を必死にかばってた。長い長い揺れが止まったころには電気も消え真っ暗。
揺れがおさまって部屋の中がぐちゃぐちゃで、ぼっーとしてたら津波警報のアラートがなった。祖父母やいとこも連れみんなで外に出た。周りの家が倒壊しまくってた。
そのまま避難所に猛ダッシュ。幸い津波は来なかったけど、水も電気もないまま凍える夜。
避難所で寝るのは嫌だったから夜は車中泊してたけど、ガソリンもなくなるから毛布とカイロにくるまりながら震えてた。膝の痛みが続き、足の裏がずっと冷たかった
1/2 朝
みんなの貴重品を取りに家に行った。街の中が自分が知っている街じゃなかった。家は倒壊し、誰のペットかわからない犬がうろつき、橋の奥には焼け野原が広がっていた。
何も言葉が出なかった。気付いたら泣いてた。夏祭りのときここ通ったな…ここのコロッケ美味しかったな…ここで輪島塗作ったな…いとことよくここ散歩したな……数えきれないくらいの思い出が出てきた。でもそれはもう過去の思い出になり、2度と体験できないことになってしまった。跡形がなくなった場所もあった。去年行った海鮮丼の店も焼け落ちていた。
1/2 夜
避難所で炊き出しが始まった。地元の方がおせちの残りを持ち寄って料理を作ってくださった。久しぶりのあったかいご飯。感動して泣きそうになった。
この後1/7頃まで奥能登で過ごし、1/8に東京に帰ってきました。12/29に石川に行ったので、10日ほど滞在していたのですが、すごく不思議な感覚に襲われました。ぽっかり穴が空いたような10日間でした。
東京駅に着きホームに降りると、いつもの風景と変わらないのです。トイレをしてもレバー1つで水が流れます。ガス欠なんて考えません。リモコンがあればあったかくなります。山手線もいつも通り動いています。
このとき私ははじめて、生きて帰ってきたんだと実感しました。どっと疲れがでました。
体の疲れはゆっくり寝たためよくなりましたが、まだ精神的にはすごく疲れています。親戚の知り合いが今も下敷きになっています。中学生のいとこがいますが、彼の同級生で連絡がつかない子が何人かまだいます。昔お世話になっていた方も安否不明者リストに載っていました。あまりにも内容が重すぎて頭がついていきません。揺れたときの様子、隣の家が崩れる音、みんなの悲鳴…今でも毎日何度も蘇ってきます。蘇ってくると涙がでてきます。本当に苦しいし悔しいです。今月末には試験もあるのに手につきません。日常を全然送れません。早く元気になりたい…
そしてどうか安否不明の方、無事でいてください。必ず助けは来るんです。そしてはやく電気と水が戻り、人間の生活が送れますように🙏
これを読んでくださったみなさん、もしよかったら募金をしてあげてください。そして地震がおさまり復興した暁には、是非奥能登に足を運んであげてください。
こんなに長い文章をよんでくれてありがとうございます😭